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タイムマシンができたら

 

 

時間旅行をするには光速に近い速度だったりワームホールを開く必要があったりと様々な言論があるが、ここでは時間を渡るための理屈は置いておいて、人類が過去へ行き来することができたらどうなるかということを考えていく。

過去へ飛べたら歴史の授業で知ったあの事件、あの人物をこの目で見たい、現代の技術を持ち込んで無双したいと誰もが考えたことがあるだろう。それとも中学二年生の時の黒歴史をなかったことにしたい、だろうか・・・。

だが過去へ飛んで、起こるはずのなかったことをすると未来はどうなるのだろう。たとえば、本能寺の変で織田信長を救ったら、未来が変わり私たちは消えてしまうのだろか。私はそれはないと考える。時間旅行で過去が改変され、未来が変わりタイムマシンができない世界になったとする。だがタイムマシンが発明、実行されなければその過去改変自体も存在しなくなる。ここで時間的矛盾「タイムパラドクス」が起こる。この矛盾がある限り、過去への時間旅行は不可能だろう。しかしそれではロマンがない。過去への時間旅行の最大の問題であるタイムパラドクスをいかに回避するかを考えていこう。

 このタイムパラドックスをどう考えるか。先の言葉と矛盾するようだが、私はそもそもタイムパラドックス自体が起きないと考える。私は時間軸が固定されたものであり、タイムマシンを用いて何かしらのアクションを起こし過去が改変されたとしても、固定された時間軸から枝分かれした新たな未来が生まれると考える。1582年に渡り織田信長を救っても、私たちの元の時間軸では信長は本能寺の変で死んでいるという事実は変わらない。その時代に到着した時点で、未来人が来て信長が生きながらえた時間軸と未来人が来ずに信長が死んだ時間軸に分かれるだけだ。

しかし、過去へ行くことができても元の時代に何も影響がない、ということもないだろう。過去から何かを持ち帰ることができればそれはとてもよい研究資源となるだろうし、正体不明の病原菌を持ち込んで元の時代の世界が崩壊してしまうなんてこともあるだろう。

もしかしたら私たちが生きるこの世界も過去に未来人が来て枝分かれした時間軸の世界なのかもしれない・・・。

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